小さな古い建物に、小さな手書きの看板を取り付けた。
10年以上も前に、サーフショップやりたいなと思ってからの長く濃い時間から、ようやく形に現れたのが、この小さな古い建物に、小さな手書きの看板だ。
そっと目をつぶって思いにふけるように、数秒がすごくゆっくりな時間だった。
『まずは社会勉強だ』と、営業の勉強をするために企業に入社した。上場企業だったので、仕組みを勉強するにはうってつけで、またすごく良い会社で大好きになったので、一生懸命働いた。給料をたくさんもらえたのでたくさん勉強できた。年間200冊本を読んだ。サーフィンは年間180日行った。片道50kmを仕事前に。
営業はすごく楽しかったが、サーフショップをしようと3年半経ったとき仕事をやめた。しかしとても力がないことは自分が一番分かっていた。
勉強のためにオーストラリアに渡った。最初に入ったシェアハウスはオージーばかりで何を言っているのかも分からなかった。ごきげんいかが?に、はい、と答えた。
ビザのために木こりをやった。最初の頃、1日がんばって二人で50ドルの稼ぎが普通だった。ねずみの出る家で、カビのはえたベッドで寝た。最初シングルの布団しか無くて、二人で縦になって寝て笑った。朝ごはんはごはんの上に目玉焼きを乗せるだけだった。昼ごはんはおにぎりとオレンジだった。夜は瓶に入ったトマトソースをパスタにかけた。週1回の買出しは50ドル以内と決めていた。
そして念願のサーフショップで働くことができた。週7日働いた。実際は週1日しか雇われていなかったが週7日行った。給料無くても毎日行った。元々ビザ延長は考えてなかったので、とにかく短時間で叩き込もうと、サーフショップにずっといた。
その後、フルタイムで雇ってもらい、ビザを出してもらった。
気がつくと、オーストラリアに渡る前にノートに書いていた、自分のサーフボードブランドを作る、オーストラリアのサーフボードブランドの正規輸入元になる、という2つをクリアしていた。
4年3ヶ月経ったとき帰国することに決めた。
一人で2ヶ月半日本を旅した。サーフショップに飛び込み営業をした。
看板には、自分のサーフボードブランドと、正規輸入元をしているブランドの名前を書いた。
この看板を設置して見上げると、ほんの数秒でこの10年間が頭を走った。
小さくて古い建物だからよかったな。
これが立派な鉄筋の路面店では、ドラマにはならないから。
これからドラマは更に盛り上がる。