
YouTubeの文字起こしです。
埋めなければいけない時間がたくさんあって、それを埋めるのについついスマホを見てしまったりダラダラと過ごしてしまったりする方とは違って、サーフィンに身を置いている方たちの人生はとても豊かだなというお話をしてみたいと思います。
古い本とか哲学書とかによく書かれていたり、最近私も読んだ 本の中にも書かれていましたが、人間は何かこう欲求が満たされて、手に入れるべきものを手に入れて、平和な状態の時にさて何をするかっていうと、とても部屋の中に閉じこもっていられないっていうのが遺伝子レベルで、人間という性質としてあるみたいなんですが、サーフィンが向きます。
ある本で読んだんですけど、ウサギ狩りをする目的が食料、生きるか死ぬかでウサギ狩りをする時代があったとします。今もあるかもしれませんがそういう方がいたとして、その方に毎朝ウサギを刈り行く前に必要な分のウサギを分け与えたとしたら、その方はウサギ狩りをやめるんですか?と言ったらNOだったんです。行くんです。ウサギ狩りに 例え与えられたとしても、ギャンブル依存症の方が私もギャンブル依存症だったことがあるのでよくわかるんですけども、例えば勝ちたい金額の勝ちたい分をギャンブル行く前に与えるとします。その分勝ちたい分を毎朝与えられてもそれは関係なしにギャンブルに行くんです。ということは遺伝子レベルでという話をよくされていますが、結局その快楽を求めたいからやってるんです。平和であって、全てが満たされた状態であったとしても、人間を部屋の中にじっとしていられない。
仕事が終わりました。寝るまでの時間までの間に時間が少し余裕があります。この時間は何かをして埋めなければいけない時間です。しなければいけない、何かをして埋めなければいけない。みんなの意識の中には自分が好きでやってるっていうことも たくさんあるかもしれないけど、それは埋めなければいけない時間の言い訳なんです。自分がゲームをやるとか、スマホを見てSNSを追いかけているのは時間が余っていてそこに何もしないでいることはできないからしなければいけない時間を埋めなければいけないから、少し刺激的なSNSを見みます。人間はもともと快楽を求めて刺激を求めて生きていくからものすごい昔はずっと移住して生きてました。定住していなかったです。人間のほとんどの歴史のメインは 移住してきて、その後に定住した期間が 少しだけあるとすれば、追いかけて追いかけて獲物を追いかけて、追いかけて住むところを追いかけて、追いかけて移動するのが本来なんです。なので、じっとはしていられない。快楽を求めなきゃいけない。生きるか死ぬかをかけて、危ない橋を渡るということがそもそも別に嫌いではなということ。その快楽を求めるために、SNSの刺激を求めて、寝るまでの時間に埋めなければいけない時間を過ごすのであれば、それはやめてすぐに寝て8時に寝ても、9時に寝てもいいですよね。次の日、朝5時からサーフィンしたらいいと思いませんか? それは人生を豊かにします。サーフィンはありがたいことに生きるか 死ぬかがあるかもしれないし、自然相手なので毎回違うスリルを味わうことができます。一つの波、一つの波が毎回違う波っていうことはとても安っぽい言葉ですが、それは安っぽくなくてそれに挑戦するということは遺伝子レベルで人間の性質でとても豊かな心になれるということ。それがもしも、そうではなくて、サーフィンしない方の昨晩は埋めなければいけない時間で自分が好きだと思っていることをゲームの中に求めたり、SNSの中に求めたりする。それを否定するわけじゃありませんが、それは潜在的な自分にマイナスをかけるかもしれない、だとしたら、朝日を浴びてサーフィンする時間のために夜は寝ます。そしてその他は平和な日々っていうのは性質として理に適っています。最近いろんな本を読んで、哲学書を読んだりして思った感じのことでした。だから皆様はサーフィンに没頭していることは決して 別に特別なことじゃなくて、必要なことだと思うんです。
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