2011年の1月に届け出を出したので、独立して9年経ったことになります。
自分としては独立はオーストラリアに渡った2008年だと思っているのでもう少しで12年経ちます。
12年もあればやっぱり色々ありました。思い出されるのは。
2012年。
「HIRO Aか?Bか?」
「僕はどっちでも自分の力で販売してみせます。どちらでもシェイパーに不満なしです。おまかせします。」
1〜2坪くらいの裏部屋でサシで話し合い。2人の声は小さいながらも2人の運命がここで決まることをお互いに認識していたと思う。冷静を装いながら緊迫の瞬間、僕は神様にサイコロを託した。あの時、Aがいいです。と言えない自分は間違っていたのかどうかまだ分からない。
「じゃAで行ってみろ。」
僕はAを持って日本に帰国した。
今思えば。あのときBになっていたら。自信ないな。でも実はBも今アツい。やっぱりどっちでも良かったのかな。
もう一つは2014年。
2012〜14にかけてサーフボードで生きていくとかかり気味だったから、たくさんの日本人シェイパーにもアプローチしたし、THREE BLASTAで天下取ると意気込んでた。若かったし。上の画像のボードカッコいい。でも日本人シェイパーがダメ、海外シェイパーもダメ、シェイパーはTAKEDAしかいないと思うようになったとき、YOSHIROさんから手を差し伸べてもらった。そのとき大きな分岐点が来たのだと思う。自分はサーフボードで天下取るんじゃないんだなって。次のステージへ。
それからも色々あったけど。
そして今じゃー!
ずっと悩んでた「自分は何だろ」の答え。
サーファーのアーティスト性を呼び起こす活動。
これしかない!卸や小売という部門じゃなくて、自分の活動を一括にできたので。12年経ち1周回ってようやく迷いが無くなった。すっきり☆