禅とサーフィンは親和性が高い。言ってしまえばどのスポーツも禅に繋がると言えば繋がるんだけど。集中して自分が波になったときや自分がサーフボードになったときは正しく禅だと思う。
仏教に繋がるかって聞かれれば迷っちゃうんだけど、でもこれらは当てはまると思った。
まずは大きく強い喜び。
サーフィン始めてすぐの頃、テイクオフができたとか。波待ちができたとか。バンザイして喜ぶ。コーチとハイタッチ。
次は静かな喜び。
少し乗れるようになると変わってくる。テイクオフしてアップスして横に走ったとか。そういうときは海に落ちてから水面の下でガッツポーズする。みんなには気づかれないように。喜び方が小さくなる。
その次はもっと静か。
ボトムターンしてリッピングがきれいに決まったとか。ほぼ喜ばないが、心の中では絶叫している。
感情表現は無くなる。
波の言う通りに自在に乗ったとき。技や目的ではない。自在に乗ったときだ。喜びは無いと言えるかもしれない。しかしここで注意したいのは、無感動ではないということ。もっと深いところにあるということ。
サーフィンで言えばケリーだし野球で言えばイチローだ。
最初ほどアクティビティ感がありスポーツを楽しんでいるんだけど、下ほど禅の中にいる。サーフィンを生活に取り入れて豊かに生きよう!という僕からのメッセージは下の方の特性が強い。
目的を持たないで海に入ろう。
参考