日本からオーストラリアへ旅立つ前、2007年の暮れか2008年の初め、僕はオーストラリアでの目標として2つをノートに書いていた。
自分のサーフボードブランドを作るということと、オーストラリアのボードブランドの正規品の日本総代理店になるということ。
この2つの達成無しでは日本には帰らないと決めていた。
運良くたくさんの人に助けられて、この2つを達成したのが、オーストラリアに行ってから4年経ったときだった。
その2つがTHREE BLASTA SURFBOARDSとALEX CREWS SHAPESだ。
THREE BLASTAは0からの立ち上げなので思い入れも強かったし、何より自分で自由にできたのがうれしくて、早く日本に帰ってたくさんの人に知ってもらいたいという逸る気持ちを抑えるほうが難しかったのを覚えている。
今、そのTHREE BLASTAの撤退を決めた。
日本人の技術力の証明をテーマにしていた、THREE BLASTAにとって、YOSHIROという男はあまりにテーマに合致しすぎたシェイパーで、結果、THREE BLASTAの存在意義を吹き飛ばすこととなった。
初めて出会ったときに、人間性とサーフボードを見てすぐに、この人だ、と思った。
付き合いを深めれば深めるほどどんどんYOSHIROの魅力に入っていく。
「買い手には分からない部分がたくさんあるけど、やってもやらなくてもいい部分もたくさんあるけど、そこをやるのがクラフトマンだと思う。」
「買ってくれる人を幸せにするのが本当のクラフトマンだ」
「日本人のモノづくりの技術見せてやろうぜ」
という彼の言葉のとおり、一切の妥協も許さないモノづくり精神は、しっかりと強くサーフボードに表れている。
これが次第に僕の頭を洗脳していくと、僕は自然とTHREE BLASTAをYOSHIRO一色にする方向に動き始めた。
THREE BLASTAのテーマ通りに動くと自然とそうなる。
そよそよと惰性で自然にそうなった。
ただそれは、THREE BLASTAのブランドとしての存在意義を次第に希薄にさせていく。
このことに気づいたのが本当に最近で、もう遅すぎたのだと思う。
僕はYOSHIROのボード作りにすっかり入り込んでいた。
THREE BLASTAのサーフボードが完全にYOSHIROそのものになった今、THREE BLASTAを終えることに決めた。
これからは、YOSHIROブランド、TAKEDA CREATIONSを日本に広めていく。
ブランド名は変わったが、モノは同じ。
自然にそうなった。
いつか自分のサーフボードブランドで、「技術力日本」を証明したいという気持ちは今も変わらず持っているが、もう少し勉強が必要だ。
今はTAKEDA CREATIONSとALEX CREWS SHAPESに集中したい。
長いスパンで一から出直す。
THREE BLASTA SURFBOARDSは皆様のおかげで、価値ある1歩を踏み出し、そして次のステップへ進むことができそうです。
本当にありがとうございました。