サーフボードは物質だけど、サーフボードが物質じゃないと感じるときがある。
それは、サーフボードには良いところと悪いところがあるからだし。サーフボードは人間によって判断されるからだ。
例えば、新しいサーフボードにテイクオフの早さを求めると自然と浮力が上がって取り回ししにくいものができる。
良いところはテイクオフが早いで、悪いところは取り回しがしにくい。
そして、それを判断するのは人間なのです。
人間は、良い面を見たり悪い面を見たり。それは人それぞれなのです。
サーフボードを手にして、わっこれテイクオフ早い!っていう人と、
わっこれ全然動かないじゃーん!っていう人と。
まるで人と人が出会ったときみたいに。
人を知るときに相手の良いところばっかり見る人と、悪いところばっかり見る人と。
なんだかサーフボードは物質じゃなくて、自分なんじゃないかって思えてくるわけです。
サーフボードを判断しているのは自分なのです。
上妻世海という人が書いた「制作へ」という本(これはハンナ図書館の最高級の傑作だと思うのでまた紹介します)を参考にさせてもらうと、
サーフボードは自分ではない。サーフボードは自分でなくはない。
に繋がるわけ。
当時の僕はそこまでは踏み込めず、「きみは本当にサーフボードを選べるか」でサーフボードは自分と示した。
今は自分でなくはないが正しいのかもしれない。
人がサーフボードを判断するって本当はとても不思議な世界なのだろうと思う。