カリフォルニアにドナルドブリンクというサーフボードアーティストがいる。こちらの画像もそうだが、非対称ボードを多く削り評価を受けている南アフリカ人だ。彼がとあるPODCASTのインタビューで、「このボードが調子いいかどうかの判断はいつできますか?サーフボードというのはたくさん乗り込まないと分からないものですか?」という質問に「良い質問だね。初めてされたよ。そこが大事なんじゃないかな。」と前置きしたあとに「初めてそのサーフボードに乗ったとき、ボードのことを考えずに楽しんでサーフィンできた場合、サーフィンにのめり込んだ場合。このボードは自分に合っていると思うんだ。」と答えた。
これを考察してみよう。このときのブリンクの意識は自分になくサーフボードになっている。自分がサーフボード?普通は自分がサーフボードなはずはないと思うだろう。でもアートというのはここ。アーティストがアートを楽しむときはここにいる。
自分はサーフボードではない、サーフボードでなくはない。
という感覚。
サーフィンしているときは我を忘れてサーフボードに乗り波に乗る。このとき自分に意識はないからサーフィンに没頭している。自分は波を刻むサーフボードになっている。ところがふと我にかえる。今の今まで自分はサーフボードだったんだと気づくのだ。夢中でサーフィンしている自分と、我にかえっているときの自分。アーティストはここを行き来してアート作品を楽しんでいる。
このボード調子が悪いなとか、テイクオフ遅いんだよなとか、言っているうちは意識が自分にあるということ。アーティストが見ている世界はほど遠い。そんな人はいいね!を集めるためだけに作られたサーフボードが似合うよ。SNSか広告に踊らされてそれしか見えてないから持ってる自分がかっこいいと意識はいつも自分にしかない。自分がかっこいいもんな。
魂込めて作ってくれたこのサーフボードのアート作品に答えるという心構えの提案をさせていただきたい。そのためにはそれに見合うアート作品を厳選するのが僕の役割だ。偉そうなことばっかり言ってるが故に試される。
休業期間に考えるサーフボード更新中です。今日で5記事目です。
参考