これまでの休業期間に考えるサーフボード では実際にサーフボードに乗ってどう捉えるかを考えてきた。サーフィン自粛のこの期間であるため今回は乗らずしてどうするかを考察してみよう。
実は乗らずしてサーフボードを考察するというのは正にアーティストの才能である。なぜなら彼らは制作する前はいつでもそのボードに乗ったことがないからだ。1本1本手作りなので制作前に乗ることはあり得ない。ましてや新しいタイプのものをシェイプしてそのボードが調子良いとは才能としか言いようがない。何千本も削っていつか良いものができるということではなく、生粋のアーティストの供試ボード数は少ないものだ。ということで、向こう側のサーフボードに実際に乗ってみたらどうだろう。は皆のサーファーのアーティスト性を湧き上がらせるために提案していることだが、今回は乗らずしてもアーティスト性を呼び起こしてみたい。
それが共感覚性である。
レモンを切る映像を見るとすっぱいし、目の前の人が殴られそうになれば避けそうになるし。サルでさえ持ち上げる動作を教えたあと向かいのサルがものを持ち上げると自分の脳が持ち上げた反応を示す。
ワシが大空を舞い、羽を優雅にバタバタと風を捉え、適当な木とゆっくり止まれそうな太い枝を見つけ、少しずつ減速しながらその枝に着地。そこからの眺めを楽しんでみよう。結構共感覚を感じるものだ。ワシにはなったことないが意外と景色見えないだろうか。羽ばたく羽の音が聞こえないだろうか。
向こう側には現在30本のサーフボードがあるし、お店のストックボードも30本くらいある。目の前のサーフボードを見て触る、抱える。そして空想のサーフィンをする。加えて同じようなサーフボードに乗っている映像を見る。その人になって波に乗る。
シングルフィンだとこう、ツインフィンだとこう、ミッドレングスだとこう、という妄想を侮ることなかれ。やればやるほどサーフィンは上達する。やればやるほど共感覚性は高まっていく。サーフボードアーティスト達のこれはものすごく優れているのだ。
サーファーのアーティスト性の要素の1つはこの共感覚性。もっともっと深い世界がありそう。
参考