休業期間に考えるサーフボード、前回の外出無しでサーフィンはうまくなるかで取り上げた共感覚性。これによって深いところをイメージしながらアーティストは制作すると紹介した。アーティストは一般の人に比べて8倍もの共感覚性を持つという。アーティストと一般の人との差はこの想像力なのかもしれない。
今日は言葉についても触れてみよう。共感覚による言葉の方向性だ。
例えば「フィッシュボード」という言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。テールエリアだったり、ロッカーだったり、ずんぐりむっくり感だったり。人によってはシェイパーの顔が出てきたり、あのトリップの楽しい思い出が出てくるかもしれない。特定の言葉を聞くことで触覚、聴覚、視覚、臭覚、運動感覚、これらの感覚が一斉に喚起される。アーティストはこのイメージ力が8倍違うということだ。
シェイパーは皆がアーティストであるが、それでも作品が皆に愛され世界的に有名になるシェイパーとそうではない人には共感覚性に差があるようだ。
フィッシュボードを作ろう。となったときに、「あのフィッシュテールのやつをシェイプしよう」となるとうまくいかない。向こう側で取り入れているまたは取り入れようとしている生粋のアーティスト達は、「波の上で足元にくる感覚、波をどう捉え、どうラインを描いていくか、見える景色と聞こえる音と匂いとフィーリング、全ての共感覚から、こういうのがフィッシュなんだよな。」からシェイプに取り掛かるのだ。結果アーティストによってフィッシュの見た目が違うことが起こる。「フィッシュは魚のテール」という単純な言語から作品が生まれるのではなく、その個々のアーティストの深い共感覚の答えから作品は出来上がる。
それを僕たちサーファーが受け取るためには、受け取る側の心構えがいる。僕はアート作品に出会うと背筋が伸びるようになった。サーフボードはアート作品である。
いいね!基準でサーフボードを選ぶというのはおかしいだろう。広告に踊らされるのはフィッシュをテールと捉えるのと同様だ。
「フィッシュ」という言葉から、触覚、聴覚、視覚、臭覚、さらには運動感覚で全身と脳がダイナミックにつながり、さらには内臓感覚まで反応して。そこから制作へ向かうシェイパーというアーティストはまだまだ奥が深そうだ。
参考