ここ数日のまとめをしよう。アーティストが見ている共感覚(イメージする力)は我々の8倍もあるというお話と、我々使う側が小さな世界(パフォーマンストライフィンやクラシックロング)に閉じこもって外側を見れなくなってしまうというお話で、サーフボードアーティストと我々との次元の違いを説明してきた。
僕たちは限られた情報だけを取りにいきその偏った情報に浸りがちだが、そんなことは世界から引いてみればとてもとても小さいことであった。向こう側を取りに行くと、向こう側の中のさらに奥深いところをアーティストは想像していてそれを作品化しているということだった。
どれぐらい深いか、例えばまだウイルスを知らない時代に、人の見えない何かがあるのではないか、人から人へ感染っている何かがあるのではないかと考えた人がいたかもしれない。ウイルスをイメージして口にピタッと止まる風景を見た人がいただろうか。また、将棋をするときに自分がこう打ったら相手はこう打つだろうを何手も何手も先まで次元を重ねてイメージする人がいる。一手変えるだけでその先全て変わる将棋盤を次元を超えて想像する力は自分にはないな。アーティストはこれらの事象を我々が見える形で表現してくれる。今熱が出ている原因は丸くて突起物がたくさんついているこんなやつが原因かもよ。こいつがこうやって空を飛ぶんだよと描いたり、将棋盤が重なり連なり無限に続く様子などをアート作品にするなど。その作品を見た人はウイルスを知らないしイメージする力が無いからピンと来ない。ピカソにしか見えてないものを味わうのに似ている。
我々は同じようにサーフボードアーティストが示したフィッシュボードの奥の世界にピンと来るだろうか。
SNSで自分の嗜好ばかり追いかけ機械化に囲まれた現代の人間の能力はどんどん落ちていく。イルカにしか聞こえない音がすぐ横を飛んでいることすら忘れている。
アーティストがサーフボードを制作するとき、外から見た単純な「ツインフィン」というサーフボードではなく、中から見たサーフボード、体性感覚を活性化させ、海の生命、波の風景と、五感を組み替えて感応的関係を築いて、我々からは見えない世界を提案してくれる。個々のアーティストなりの「ツインフィン」を制作してくれる。
このアート作品を味わうためには、ピンとくるために、受け取り側の改革が必要だと思う。異次元を自分で表現しようとまでは言わないが、そういう向こう側の世界があることを再認識し、普段からマスで見る訓練が必要ではないだろうか。それは同じ波は二度とないし、サーフィンは一時の快楽にとどまらず一連の生活の中にあるし、予想もできないし、抗えないし。サーフィン自体がアート活動なので。アート作品(サーフボード)を感じることもできるはずだと思うのです。
参考